社会の要請に応える医療の実現を
2009年11月2日配信
【第84回】郷原信郎(ごうはら・のぶお)さん(名城大教授・コンプライアンス研究センター長) 名城大コンプライアンス研究センター長を務める郷原信郎さん(元東京地検検事)は、「コンプライアンス」とは単なる「法令遵守」の徹底ではなく、「社会 的要請への適応」だと主張する。「『法令遵守』が日本を滅ぼす」という衝撃的なタイトルの本を2007年に出版し、反響を呼んだ。医療界は「コンプライア ンス」にどう対応すべきなのか。
■医療に求められているのは「手続き」でなく「実質」
医療界での「コンプライアンス」をめぐる現状をどのようにとらえていますか。
「医療のコンプライアンス」を考えることは、医療が社会から何を求められているかを根本的に考えるということです。それは非常に複雑で微妙です。
医療に対する社会の要請は、時とともに変化してきました。30-40年前の日本社会では、医師の医療を国民誰もが等しく受けられることであり、それを実現 してきたのが国民皆保険制度です。しかし、最近では、医師から医療を受けるだけではなく、その医療の質が一定のレベル以上でなければならないという要請が 非常に強まっています。その変化が、いろいろなところで問題を引き起こしていることは否定できません。このような歴史的な要請の変化と同時に、どのような 時に患者・家族側が満足するかも重要です。
自分はどのような医療を受けるのか、それによってどのような結果が予想されるのかをあらかじめ説明してもらい、受ける医療の内容を自分で決めたいという患 者が増えています。これがインフォームドコンセントの要請につながります。自分で選択することが、人間として重要な権利だと認識されるようになったのだと 思います。
逆に言えば、医療者側も、単に客観的かつ相対的に「質の高い医療を提供すれば文句はないだろう」というだけではなく、あらかじめ十分に説明し、その上で患者や家族に自分で選択・判断してもらうことが大きな要請になっていると認識しなければなりません。
近年、インフォームドコンセントの必要性は十分認知されてきました。
一方で、難解な医学用語の説明や、解釈の齟齬(そご)をできる限りなくしていくことが課題だと感じます。
社会の要請の変化に伴い、現場では患者への説明を昔と違ったやり方で行うようになったと思います。しかし、そこで多くの人が、そういうことを形式的に やっておけばいい、インフォームドコンセントが必要なら承諾書に署名してもらえばいいと勘違いし、言ってみれば「法令遵守的」「規則遵守的」な感覚にとら われてしまいました。
手続き上、守っていればいいと考えてしまうことは、全くの間違いです。社会が医療に要請しているのは、形式的な手続きではなく、「実質」なのです。イン フォームドコンセントというのは、患者・家族側が事前にどれだけきちんと医療内容を理解したかということであって、承諾書を書いたか、書かなかったかとい う形式的な問題ではありません。
確かに、医療内容などについて、素人の患者・家族が百パーセント理解することはなかなか容易ではありません。患者が本当に理解できるような説明をするには 技術が必要ですが、医師というのはもともと医療の専門家であって、説明やコミュニケーションの専門家ではないので、なかなかそこがうまくいきません。そう いう意味で、医師に求められる能力・資質は昔とは違ってきています。それは、どういう医師を育てていけばいいのか、どういう人材を育成すればいいのかとい う問題にもつながります。医師に限らず、医療者の教育の中で、患者側とのコミュニケーションを含めた総合的な能力を養成していくことが必要になっていると 思います。
医療機関は、「クレーマー患者」や未収金問題の対応にも苦しんでいます。これらへの対応も社会的要請の一環なのでしょうか。
応えるべき要請と、その範囲を超えた不当な要求というものがあり、そこの線引きは非常に難しいと思います。そういうぎりぎりのケースというのは、通常の医療者や病院の組織ではなかなか適切な対応ができません。
そ ういう面で本当は、リーガルな能力を持った、医療のコンプライアンスを担当する人間がもっと病院にいなければいけません。われわれコンプライアンス研究セ ンターでは、随分前から、病院にとってのコンプライアンスのためにどういう仕事があり得るか、そのためにどういう教育・人材育成をしていかなければいけな いかを研究対象にしてきました。
例えば、法科大学院を修了した人の活躍の場としても考えられるのではないかということです。また、弁護士の仕事の中にも、病院での法務の仕事が考えられるのではないかと検討してきました。しかし、やはり必ず壁にぶち当たってしまうのが保険点数の問題です。
結局、病院としてなかなか対価が払えないのです。歴史的な経過から考えても、一般の会社と比べて、病院はものすごく法務対応能力が弱いところがあります。 なぜかというと、保健所や厚生労働省の言う通りに「法令遵守」をさせられるだけの組織だったので、法的な問題への対応はほとんどしてこなかったからです。 弱いからこそ、本当は医療法務の分野でスタッフが活躍する余地がたくさんあります。
しかし、通常の病院の収支の中ではなかなか居所がない。弁護士に頼むこともありますが、頼むのは医療事故が起きてからで、事後対応になってしまいます。予 防法務的なことは全くできないわけです。今後、医療過誤保険などに関連付けたり、費用を賄えるような保険制度の改革を考えたり、全体的な枠組みを変えてい かないと、なかなかそのような人材の配置は進まないでしょう。
医療制度改革のポイントは何でしょうか。
大きな流れとして、医療分野で競争原理を機能させる方向に持っていくのか、それとも社会福祉 的な観点の医療という考え方を維持していくのか、制度全体の位置付けをよく考えていかなければいけません。「自分はある程度対価を出してでも、質の高い医 療を受けたい」という要求をどこまで認めていくのか。逆に、かなり程度が高くなっている「最低限」の医療を等しく受けさせてあげないといけないのか。この 二つをどう調和させていくのか―。常にそういう基本的なところに立ち返って、制度の在り方を考えていく必要があるでしょう。
■「専門性」と「第三者性」のバランスが課題
医療過誤、医療事故・事件の予防・対応をどうしていくべきでしょうか。
医療に対する社会の要請が複雑になっているので、個別に見てい かないといけません。医療にはいろいろなバリエーションがあります。例えば、救急医療には迅速性が非常に求められます。迅速に対応すれば救える命は増える ので、とにかく医療機関がどれだけ救急医療に対応できるかが問われています。しかし、その一方で、救急医療によって植物人間的な状態ができてしまうことも あります。
昔だったら助からなかったが、迅速に対応することで命は助かる。しかし、植物人間になってしまった。その時に患者や家族は何を求めるでしょうか。「むしろ そんなことになるくらいだったら、途中で救命措置を止めてくれた方がいい」と思う人もいるかもしれません。それも一つの要請です。中には、いったん救命を した後に、家族側が「もういい」と言うので人工呼吸器を取り外したら、刑法の殺人罪に問われた例もあるわけです。
どういう要請に応えるのが医療者側として望ましいのかは、単純な問題ではありません。一つ一つの事例ごとに、非常に複雑な様相を呈している点が、医療をめぐるコンプライアンスの問題の難しいところでしょう。
司法の介入で、個別の事例を詳しく見て判断することはできますか。
司法的な解決には最もなじみにくい分野だとわたしは思っています。しかし、対立の構図が決定的になってしまうと、司法的な解決に委ねざるを得なくなってき ます。実際にそういう例が医療過誤、医療事故・事件で増えています。そういう場合に、従来型の司法で問題解決を図ろうとすると、必ずおかしくなります。司 法には医療をめぐる問題を専門的に解決する能力はもともとないし、ある程度、個別の事例ごとにカバーする体制は取られますが、それでもやはり、司法的な判 断には限界があるのです。しかし、何らかの形で判断をしないことには問題が片付かない。そこで、医療事故調査委員会というような別のスキームをつくり、専 門的なスキームで解決した方がいいという話になっています。
「医療版事故調」をめぐっては、原因究明と責任追及の在り方に関する議論がなかなかまとまらないようです。
同じような問題が非常に深刻な形で起きてしまったのが、(JR福知山線脱線事故の)事故調査委員会の情報漏えいです。一つの問題について専門性をもった判 断をしていこうと思うと、その分野で一番高い専門性を持った人に協力を求めざるを得ませんし、それが当事者的立場の人たちとも何らかの関係があるというこ とにもなる。それが、第三者性という面で問題になります。委員会側と当事者との接触が不透明な形で行われると、出した結論に対する信頼などが失われてしま います。
鉄道事故などと比べれば、医療の場合はまだ専門家の裾野が広いので、専門的な知識や経験を持った第三者的な人を探してくるのは全く不可能ではないと思いま す。ただ、旧国鉄と同じような感じで、医療の世界は互いに傷をなめ合うように患者側から見られているため、医療界の人間だけで判断すると、どうしても身内 びいきになってしまう点が問題にされてきました。そういう意味では、司法的な判断が最も「不偏不党」と言えますが、今度は専門性が非常に問題になります。 なかなか単純には言えない話ですが、透明性と公正な手続き、専門性をもった高度な判断ができることとの間でバランスを考えていくしかありません。どの分野 でも原因究明と責任追及の関係が問題になっていて、医療の分野もまさにそうでしょう。
■患者・家族を含めたコラボレーションを
組織として取り組んでいく上で、「コラボレーション」の必要性を説かれています。
コラボレーションというのは、問題や状況に応じてい ろいろな形が考えられます。組織の中で構成員同士がコラボレーションするのもコンプライアンスの一つの要素ですが、それだけでなく、その組織と「外」の人 や組織、そして社会全体と、いろいろな関係でコラボレーションの在り方を考えていかなければなりません。
重要なのは、その中に患者・家族が入って来ないと、本当のコラボレーションにつながらないということです。それがうまくいっていれば、医療事故や医療過誤 でトラブルが起きることはおそらくありません。そういうトラブルは、いろいろな面でのコラボレーションがうまくいっていないことが原因で、それが決定的に なるのが、患者や家族・遺族と医療者との間でコラボレーションと反対の、相互不信や感情的な対立が生じる場合なのです。
医療界と法曹界は、どのようにコラボレーションを図っていけるのでしょうか。
非常に難しいです。日常的な医療の中で、どうすれば医療 のコラボレーションを、法的な面でも、コンプライアンスという面でも、問題がないようにいい方向に持っていけるかという話になりますが、そういう観点でア ドバイスできる法律家、弁護士は非常に少ないと思います。病院の中に法務があって、日常的に病院の活動にある程度主体的にかかわらないといけません。それ がないと、なかなかコラボレーションの輪には入り込めないと思います。







